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梟之琉球旅・2025夏 前編

正直、旅か?と言われると微妙ではある。

最終日に一瞬西原町にワープしたけど、ずっと那覇にいたし。

カメラロールには"映え"な青い海の写真もない。

やけに酒と飯の写真はあるけれど。

でも心は最高に旅をした。そう言い張れるのでこのタイトル。


8/3の三線のコンクール(琉球古典芸能コンクール・野村流歌三線・最高部門)受験のため、夏休みの大型連休に先んじて沖縄へ行っておりました。8/5に帰りました。

帰りが遅いって?色々あったんです。以下メモ書きにて。

(長いので読まなくていいです。自分の思考記録もかねているので)


8/2(審査前日)

家を出る直前の練習で完璧な演奏ができず不安なまま三線を特別貨物に預けるという不穏な出だし。

あまりに不安すぎて隣の第2ターミナルまで移動して、ずんだシェイクを飲むなど。

(あとやっぱりこの時期子供連れ多いから、通路側の席しか空いていないのは仕方ない)

最高賞の審査日程自体は8/2~8/4の3日間でしたが、初日8/2に受験した兄弟子より「思ったよりも棄権者が多い可能性があるから会場には早めに入って準備をしておけ」というアドバイスをもらい早めに寝る準備をする。

(というか楽器触れないと思ったよりもやることないし、寝るしかないんだなという思考に至る。普段どんだけ深夜に楽器弾いてるんだか、自分)

宿に着いてまずやること。楽器をベッドに一番に放って、「はしゃいでる」ように見える写真を撮ること。
宿に着いてまずやること。楽器をベッドに一番に放って、「はしゃいでる」ように見える写真を撮ること。


8/3(審査当日)

起床早々、宿の朝食が入らないという異常事態におびえ始める。

普段旅行の朝は入るのに。極限状態と体が認識し始めていることに気づく。

とりあえず部屋に戻って一回通せるか練習。通せた。ノーミスで。

ここで宗像、ネガティブな思考に入り始める

「ノーミスで通せる貴重な1回を使ってしまったのでは?」

「小声だから今のはノーカン、ノーカンだから!」

と誰に言い聞かせるでもなく、いてもたってもいられなくなって、早々に荷物を準備して会場の新報ホールに旅立ってしまう。受験番号は35番。審査開始は20番から。

一人あたりの審査時間が目安20分(十七八節14分+仲村渠節6分)のため単純計算5時間+α(審査側の休憩時間もあるので)のはずだけど、前倒しにはなると考えて10時半には会場にイン。

とりあえずtwitterには「はきそう」とつぶやく。マジで本当に吐きそうだった。

着替えをする気にもならず控室をうろついていると先に審査が終わった同じ支部の方とその先生にばったり遭遇。ここでマジでベソをかく。でも会えてちょっと安心。

「7割の力出せば受かるから~~」と言われてさらにベソをかきそうになる。

そんなこんなで水とinゼリーだけでつないで13時。そろそろ着付けに入ろうと控室のすみっこで準備しはじめたところで事件発生。襟芯が襦袢に入らない。

そうこうしているうちに出番の呼び出しが来たりしたらどうしようと、内心かなりパニックになる。さらに6年前に舞台袖で三線の弦が切れたトラウマを思い出して冷や汗が出る。

「…新報ホールのマジムン(風評被害)」※マジムン=沖縄・奄美での妖怪の総称

若干手が震えたりしながらも「ここで休憩です」のアナウンスで少し安心しながらなんとか襟芯を襦袢にねじ込んで着付け完了。わりとマジムンの仕業と思ってた。今でも思ってる。

13時くらいから声の最終調整開始。

十七八節を歌い終わったところで兄弟子がひょっこり顔を出す。

緊張するようなしないような不思議な時間が流れ始める。

隣で調整していた沖縄からの受験者の方から「審査員びっくりするよ~」と言われる。

(幸運なことに良い意味での「びっくりさせる」という文脈で、である念のため)

審査員の昼休憩明けに審査再開とのアナウンス。この時点で15時。昼とは。

兄弟子が舞台袖まで付き添ってくれ、15時半頃審査開始。

審査員席の前に、亡くなった祖母を幻視させつつ十七八節からスタート。

三線、聴かせてやりたかったな。

あの世とこの世の境目がぼやける瞬間を垣間見れそうな十七八節なら届くかな。

仲村渠節の歌の意味、教えたらどんな顔してくれたのかな。

そんなことを考えながら練習を重ねたのを思い出して。

途中、逃げたい気持ちがあるのか背中側に重心が行きそうになるのを懸命に押しとどめて前に、前に、きっと聴いてくれていると信じている存在に向けて弾ききった。

まあ一つだけ弾き損じを序盤でしたり、歌の低音部がひきつったりしたし、

全体的に拍取りが甘くなって実演奏時間がおそらく1分以上縮んでたりしたけど。

足は案の定痺れて退場するので精いっぱいで、舞台袖から先に帰ろうとする兄弟子を懸命に呼びとめ三線を持ってもらってから、手すりを両手で掴んでゆっくり階段を下りるという体たらくだった。

それでもひとまず、最高賞は終わった。


思えば最高賞はずっと「逃げたい気持ちとの闘い」だった。

別に優秀賞から3年経った瞬間に受ける必要なんてなかったし、もっと時間をかけてもいいはずで。生兵法で挑むだけ支部に迷惑をかけるのもわかっていた。

でもこの2025年、2(二)5(胡)の語呂合わせができる年に三線でひとまず一区切りをつけるという、天邪鬼じみたことを私は成し遂げたかった。

終生の外道が望む、ただのエゴだ。

そんな小さな拘りなんて、「出来がよくないから」というもっともな大義名分のもと受験を取りやめてしまえばなかったことになる。いつだって逃げたい気持ちが止まなかった。

1回で受かる確証もない。でも周りに受験を公言した以上、もう後にも退けない。

いつしかこの天邪鬼なエゴに喰らいつくしかなくなっていた。

二胡を信じることをやめられず、三線を離すこともできない。

心底どうしようもないやつの、最高賞がひとまず終わった。(後編へ続く)



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